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​文献講読セミナー
「臨床思考を育む」開講に寄せて

精神分析的視点に立ち、子どもや家族との臨床現場で培った感受性と実践経験を背景に今回新たに文献講読セミナー「臨床思考を育む」を開講する小笠原先生。
理論学習に留まらず、文献から得られる感覚や連想をもとに、受講者それぞれが自身の臨床思考を深める学びの場となるよう本セミナーは企画されています。
このページでは、小笠原先生のこれまでの歩み、臨床経験、そしてセミナーへの熱い想いについて伺いました。

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インタビュー目次

  1. 臨床のはじまり

  2. 多様な現場での実践経験

  3. 文献講読から広がる臨床思考

  4. 臨床思考の基盤

  5. The Tavistock Modelへの想い

  6. 文献講読と自己探求のプロセス

  7. 言語化、内面との対話

  8. 多様な視点が交わるグループディスカッション

  9. 人と人とのつながり

​聞き手:大野通久(研修プログラム担当理事)

インタビュー内容

  • ー テスターになられたことでいろんな葛藤を経験されたのではないですか?
     病院では、指示通りの検査や数値だけの所見報告が主流で『心理臨床とは何か』を疑問に思う機会が何度もありました。思い切って、Dr.に「自分でフィードバックしてもいいですか?」と尋ねた経験や、「セラピーケースを担当させてほしいです」と交渉したことや今につながる道の始まりだったように思います。  また、当時の精神分析の主流であった考え方が、子ども、特に自閉症(ASD)や深刻なトラウマに対して十分に機能していない現状を目の当たりにし、対象関係論、中でもタビストックのアプローチに魅かれるようになりました。
  • ー まずはご自身の経歴と、契機になった出会いについて教えていただけますか?
     慶應義塾大学におられた小此木啓吾先生が東京国際大学に移られ、精神分析を大学教育のなかに根付かせようとしていたころに大学院に入学した私は、大学院教育の中で精神分析に濃厚な形で触れる機会を得ました。  小此木先生とは入れ違いになってしまい、直接教えを受けることはなかったのですが。大学院修了後には、実習先であった精神分析オリエンテーションを基盤とした児童精神科クリニックで研修生をしながら、国立精神神経センターで心理検査に従事することになりました。
  • ー 個人開業へと至るまでの様々な臨床現場でのご経験をお聞かせください
     国立の病院を辞めた後、精神病の方を対象にしたデイケアにかかわったり、スクールカウンセラーをしたり、障害者施設でのコンサルテーションも経験しました。  より多様なケースに向き合いながら、事例を発表したり、平井正三先生にスーパーヴィジョンを受けたりしながら、ちょっとずつ子どもの臨床ができるクリニックの勤務日数を増やしていきました。
  • ー 個人開業にシフトされたきっかけはあったのでしょうか?
     開業に関しては、自分の個人セラピーの影響が大きかったかなと思います。『どうして子どもの臨床を選んだのか』の理由が自分の中に繋がった感じがあって。納得して自分の今の立ち位置を自分で選んできたんだな、ということが分かった感触がありました。  子どもの臨床経験をしてきたからとか、それが面白いからだけじゃなくて「何か自分が子どもや家族に関わりたい」、「自分の中の理由がちゃんとあるじゃん」みたいなことが繋がった感じがしたんです。  過去と現在と、これから行きたい方向性、未来が、自分はこれやっていく、これもうここはぶれないな、というような感触を得られたのが大きかったかなって思いますね。
  • ー それまで経験された文献講読とは全く異なる体験だったと
     はい。それがもとで『文献が読めるぞ』『文献も楽しいぞ』という感触を得られたのは大きいですね。いつか自分もそういう会を立ち上げたいなとか。  特に子どもの臨床をやってる人たちに向けて、文献を読んで、そこから何が立ち上がるのかということを、子どものセラピストに向けてやりたいなっていうことは以前から思っていて、それで今回チャンスもらえたので自分としてもありがたかったなと思うんです。  文献講読は面白い体験ができるんだよって、講読が苦手な人たちに向けて知ってもらえたらいいな、と思っています。
  • ー 文献講読が苦手でいらっしゃったって本当ですか?
     実は私自身、文献講読が苦手で、苦労している自分がいて、「文献から何をどう学べばいいんだろう」というところで「つまらない、ついていけない」と、ずっと悩んできた部分があります。自分のレジュメの担当の順番が回ってくると思うと「どうしよう…」みたいな。これまで何度も劣等感に苛まれてきました。  そんな中、当時、岩倉拓先生が立ち上げた講読会があって、先生が一緒に文献を読んでくれる仲間に感じられて、その先生の勉強会が、正しい理解をするというよりは「文献で読んだことから何が思い浮かぶの?」とか、思い浮かんだケースがあれば「なんでそのケースが思い浮かんだの?」とか、全然文献に書かれていないことなのに「でもそれが思い浮かんだってことって何なんだろうね?」みたいなことを、すごく面白がってくれる先生だったんですね。  すごい面白くて、主体的に自分から発言したりだとか。一生懸命考えていく、ディスカッションするのが楽しい会だったんですね。
  • ー 自分を縛っている何かがあると難しいように感じます
     自分の主観的な体験の中でも『あんまりわかってもらえないんじゃないか』とか、去勢される不安や『おかしいやつだ』って思われる不安は常に付きまとっていました。実際にそういう体験もして、自分を出すということが、僕にとっても怖い体験でもあるので。  このセミナーでは、そういう排他的な感じにならずに、いろんな個性があって、いろんな臨床感覚があって人と人と繋がるとか、出会いが怖くなくてお互いに共存できる。もし異端に出会ったらその面白さをみんなで理解していけばいいだけで。セミナーではそういうようなことがやれるといいなって思います。
  • ー 臨床現場で『今・ここ』の状況を捉えるために必要な心構えのようなものはあるのでしょうか?
     細部にどのくらい注目できるのか。気づきながらも触れないでいられる(保持できる)か、というような在り方と言いますか。  いろんな若手の皆さんと関わっている中で、訓練を受けてない方が難しいのは、観察と内省や夢想が、それぞれその機能はちょっと違うんだけど、でも連動しているものなんですが、どうしてもそうした連動があんまりうまくいかない。  『どれかだけ』になってしまうというか、別の言い方をすれば全体状況や言語・非言語含めた、自分とクライエントの二者間に漂う雰囲気とか、その中を行き来するとか、行き来しつつも同居するようなことが難しいようなんです。  それと、セッション中に「他のこと考えちゃった」みたいな。確かにいけないことなんですが「セラピストとして何やってんだ」とか。まずいなって思うけど、でもなんで違うこと考えちゃったんだとかっていう感触だったり、クライエントである子どもに逆に助けられてる自分がいるな、という気づきを行き来できる自由度があることでしょうか。
  • ー 具体的にはどういうことでしょう?
     この本には、乳児観察の記録があり、週4、5回の精神分析ではない週1セラピーの章があり、あるいは親との関わりだったり。今の日本の臨床現場にフィットする論考がたくさんあります。  また、日本ではあまり知られていない本なのでぜひ多くの方に知ってもらいたいと思っています。
  • ー 『The Tavistock Model』をセミナーで取り上げる理由を教えてください
     子どもとセラピストの関係性を捉えて、そこをベースにした臨床というか。子どもの臨床は、やっぱり生な感じに触れながら、実際の子どもの動きにセラピスト側がどう引き寄せられるのかとか、引き寄せられることにどう引っ張られすぎずにいるかとか。  フラストレーションに耐えたり、セラピスト側に向けられるものをこう捉えたりとか、ときに動かされちゃって一緒に遊んじゃうとかということも含めて、何が起こってるんだろうとかっていう。  こうした子どもの臨床をタビストックで作り上げてきたエスタ・ビックとマーサ・ハリスの足跡を追うことに意味を感じています。
  • ー 文献講読を通じて、どのように臨床思考を深めるのでしょうか
     今回開講するセミナーでは、何もしない自由も含めて、わからない自由度があっていいと考えているんですね。発言しない自由もありというか。  無意識の領域も含めて、別に表面的なことだけではなくて言語化できなくても、みんな内的に何かを持ってることがあるよね、という想定を持ったグループにしていきたいです。
  • ー 「なんでもあり」となると逆に困る方もおられそうです
     そうですね。このセミナーでは、まだまだ表現できないことについて、レジュメを作る作業の中では、文献を読んでいる時に発想や発言したいことが出てこなくても、ちょっと感じたことをメモしておく。何かを感じられないってことも含めて考えていけたらいいし、それがセミナー当日にいろんな人の話聞きながら、他の人のコメントをもらうことで『自分が言いたかったのはこういうことかもしれない』と。  レジュメを作った時には思い浮かばなかったけど、本当は痛かったのかもしれないということを感じていた。そんなことが、セミナーの相互作用の中でさらに活発になってくるといいな、というのはありますね。  レジュメを作る段階で自分と向き合う練習をした上で、セミナーの場で持ち寄って話して、それに対して他の参加者もいろんなことを自由に発言をして、そういったことを足がかりに対話になっていくっていうような。  そうした体験をするためにレジュメを作るということもセミナーの課題として設定しています。まずは自由にいろいろと書いてもらう事が重要かと。
  • ー 言語化の模索はどのようにすれば良いでしょうか?
     言語化は、自分が感じたことや自分の体験、自分の中にあるものを自分の言葉に落とし込む作業ということになるかもしれません。  言語化そのものをこのセミナーで鍛えるわけじゃないですが、言語化する前の段階の、自分と向き合う作業に関連する体験ができるんじゃないかなと考えています。
  • ー 言語化できないことに取り組むのは辛くないですか?
     自分の内面にある感覚を言葉にすることは簡単ではないですよね。皆さんもあると思うんですが、私もスーパーバイザーに『この状況で何を感じていたのか?』と問われ、答えに詰まった経験は多くあります。  でもそういうときに気づくことってあるんですよね。「自分が何を感じてたのかに全く向き合えてないな」とか。「自分の感じていた体験を言葉にするのに苦労してるんだな」とか。「言葉に起こすことを避けた自分がいるんだな」という気づきは、スーパービジョンを受けているとあるわけです。  じっくり考えたり、自分の中に立ち上がってくる理解や体験を自分の言葉に置き換えることがすごく難しくて。逃げちゃって専門用語で説明したりするとバイザーから「そうかもしれないけど専門用語で言っちゃうとそれ以上考えられなくなるよ。やめた方がいいよ」って言われる、みたいなね。
  • ー セミナーにおけるグループディスカッションの役割について教えてください
     言語化が得意な人、苦手な人、独自の視点を持つ人など、さまざまな背景を持つメンバーに会えることがグループならではの体験になるように思うんです。  このセミナーは知識や理論を正確に理解していくことを志向する文献講読ではないので、その回に取り上げる概念やテーマから「こういうことを思い浮かべる人がいるのか!」っていう、ある種驚くような体験が参加した人たちに訪れるんじゃないかなと。  毎回そういう体験になるかは分かりませんが、セミナー参加で生じる相互作用から、普段は思いつかないようなアイデアや気づきが生まれることを期待しています。
  • ー 最後に、受講を検討される方へメッセージをお願いします
     「興味はあるけど自分にできるのか…」と足踏みしている方とか、自分なんかが出てもいいんだろうかとか。「文献講読って書いてあるけど普通の文献講読じゃない。これ何だ?」みたいな、いろんな不安がかき立てられるかもしれませんが、関心持って見てくれてる方には思い切って飛び込んできてほしいなと思っています。  その期待も不安も含めてね、いろんな体験をみんなで話せるといいんじゃないかなと。

​聞き手あとがき

 小笠原先生の気さくで温かいお人柄が伝わるインタビューでした。先生が大切にされていること、発想が浮かばないことも含め、どんな発想にも関心を払うことは、精神分析および精神分析的心理療法の実践そのものであるように思います。

 良いことも悪いことも分け隔てなく関心を向けることに、そっと、でもしっかりと後押しを提供していただけるセミナーに感じられました。皆さんも是非この機会に文献講読セミナー「臨床思考を育む」に飛び込んでみるのはいかがでしょうか。

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「臨床思考を育む」

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〒604-8187 京都市中京区東洞院通御池下ル笹屋町444初音館302

​E-mail:info@sacp.jp  URL:https://sacp.jp

【研修プログラムに関するお問い合わせ】
サポチル・研修プログラム事務局
​E-mail:kenshu@sacp.jp

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